シンママライフは極貧からのスタートだった
- 保育園代月額→8万円※子供2人(3歳、4歳)
- 借金返済月額→8万円
ツッコミどころ満載ですが、これがシンママライフスタート直後の一番大きい支払い額でした。
その他に家賃や光熱費を加えると、月々の支出額はとんでもない額になっていました。
シンママになってすぐの頃、仕事をしたいけど子供を預けるところがない。
認可の保育園は仕事をしていないと入れないという負のループに陥り、
生活資金のために借金をし、その後紆余曲折を経て詐欺に遭い、ピーク時は消費者金融8社で計240万くらいの借金を抱えておりました。

生活苦で借金あるのに詐欺に遭うって不思議なのですが…

世の中には頭の良い悪い人がいたりするのよ!
当時は恥ずかしい事だと思って誰にも言えませんでした笑
今回はそんな生活苦状態から脱出した経緯と、当時の自分を振り返ってあの頃どうしていれば良かったんだろう?
といった事を考えながら、現状も同じ状況で悩んでいる方の参考に少しでもなれば幸いです。
- 貧困層の母子家庭のリアル体験談
当時の状況
当時の私の状況はこんなかんじでした。
- 頼れる身内がいない
- 貯金なし
- 借金がある
- 慰謝料0
- 就業ブランクが長い
生活に困っているシンママの中にはいずれかに当てはまる方が多いように思います。
頼れる身内がいない
シンママにとって子育てをサポートしてくれる存在があるのとないのとで、金銭面や生活リズムへの影響がかなり変わるのではないでしょうか。
実際に沢山の人が子育てに関わる方が子供にとっても心豊かになる機会は多いだろうと思います。
しかし、全ての家庭がそのような理想通りにはいきません。
頼れる身内がいないというのはいろいろなケースがあります。
例えば、親の環境面だったりそもそも両親がいない方だったり。
何かしらの理由で実家に戻ることができないという方が沢山います。
私の場合は親が今でいう「毒親」だったので関わりを絶っており、実家を頼るという選択肢はありませんでした。
親も身内とは疎遠だったため、親族でも頼れる人は誰もいませんでしたが、逆に煩わしい事もなくてそれはそれで良いと思っていました。
ただ、そうなると子育ては完全にワンオペになるため、意図せず方向性がズレてしまっても自分では気付きにくいし軌道修正がしにくいのです。
自分からどこかへ相談しなければアドバイスを受けられる機会も圧倒的に少なくなってしまいます。
貯金なし
結婚生活の段階でお金に余裕がなかったり、離婚資金の確保よりも配偶者と離れる事の方が優先度が高い状況の場合など、やむを得ず資金のない状態で離婚をせざるを得ない事もあります。
私の場合、離婚資金をこっそり貯金しておりましたが、急遽家を出なければいけない状況になったため、家の契約や生活準備資金で全て使い果たしてしまい、生活資金ゼロの無職からのスタートでした。
借金がある
離婚して生活の資金繰りができなかったり、配偶者や身内の影響だったり、借金をするきっかけになった理由はいろいろあると思います。
返済の見込みがない借金は無限ループが確定なので、してはいけないという理屈はわかっていても、現実問題お金がどこにもない。知識もないという組み合わせが私の場合は引き金になりました。
きっかけは生活資金のためといえど、更に詐欺にまで遭ったのは本当にただのポンコツな自分の自業自得です笑
ただ、日々お金が枯渇していく恐怖で段々と正常な判断ができなくなっていった感覚は今でもよく覚えています。
慰謝料0
配偶者がとんでもない相手だと慰謝料をもらうという事がとにかく困難です。
当時の私は若さと知識不足もあり、とにかく離婚して相手と離れる事ができるなら何もいらないという考えから慰謝料をもらう事に注力しませんでした。
ちなみにバツ2ですがどちらからも慰謝料をもらった事はありません。
むしろ、その頃の私はお金を請求する事が図々しい事だとすら思っていたのです。
よっぽど特別な事情があって貰う事が不可能な状況でないのであれば、面倒でも絶対に請求する事をオススメします。
就業ブランクが長い
結婚や子育てを機に退職をし、ブランクの期間が長かったりすると就職への不安も一際だと思います。
私の場合、10代のアルバイト経験3年の後に結婚&出産で更に3年間は主婦だったため、数年働いていない&会社勤めもしたことがない状態でシンママデビューをしてしまいました。
アルバイトではコンビニ店員や飲食店のホール・調理補助などの経験はあれど微々たるもので、更に学歴は中卒。
自分が世の中で通用できるものか本当に不安で仕方ありませんでした。
貧困から脱出するために行動したこと
- 時間拘束の少ない仕事に就職
- 保育園のハシゴ
- 債務整理
- 副業
時間拘束の少ない仕事に就職
当時の私は、人一倍稼がなければいけなかったので就業時間を減らす選択肢はありませんでした。
夜の仕事をするべきかと最後まで検討しましたが、結局私が挑戦したのは営業職でした。
私は元々、コミュニケーション能力が高いわけではなく、自分の意見もあまり言えないような性格でした。
なので、絶対に営業も夜の仕事も向いていないタイプだったので、究極の選択でした笑
母は強しの精神で臨むしかない状況でしたが、外勤のおかげで子供のイベントや有事の際はとても動きやすく、欠勤や早退をするリスクが低かったおかげで、給料への影響を感じる機会がほぼなかった事が最大のメリットでした。
私のように営業職ではなくても、今はリモートワークなどいろいろな働き方があるので、就業場所での拘束時間が少ない職場を選択するというのはシンママにとって大変重要ポイントだと思います。
保育園のハシゴ
私は主婦の状態から離婚したので、就職活動からのスタートでした。
そこで、仕事をしたくても預け先がない、認可保育園は仕事が決まっていないと入園できないという負のループに直面しました。
子供が年子で2人だった事もあり、すぐに希望の認可保育園に入る事ができなかったのです。
その為、最初は一時保育と認可外保育園のコンボを活用しながら働き始めました。
本命の認可保育園は週3日であれば一時保育で通う事ができたので、それ以外の日と土日祝の勤務は認可外保育園に通うという作戦です。
当時は、リスクはあれどその時にできる最善の選択を一つずつ選択していくことしかできませんでしたが、そうこうしているうちに認可保育園へ正式に入園できるようになりました。
子供達も事実上の「慣らし保育期間」があったので、すんなり馴染んでくれて本当に助かりました。
債務整理
借金問題に関しては、返済の限界を感じた時点で弁護士さんに相談し、債務整理を決意しました。
それまでは「借金=自分の責任」と思い込んで、誰かに相談することすらできませんでしたが、専門家に話を聞いてもらい、現実的な解決策を示してもらえたことで大きく心が軽くなりました。
債務整理は人生を立て直すための手段であって、恥ずかしいことではありません。
「もう終わった」と思っていた人生に、少しだけ光が差した瞬間でもありました。
また、借金があるから弁護士費用なんて払えないと思い込んでいましたが、月々の支払いをそのままスライドしてくれるような仕組みだったので、実際の負担はすぐに少なくなり、もっと早く相談すれば良かったと思ったのが率直な感想でした。
副業
就職先が決まらず、お金が究極にピンチだったときに、家計の支えになったのが副業です。
私は「せどり」という商品を安く仕入れて買った金額より高く販売するという副業で生活資金の補填をしていました。
このように本業だけではなく、副収入を得る手段を片っ端から取り組んで行くことも一人で家計を支える立場ではとても重要です。
まとめ
私のようなぽんこつシンママでも、時間はかかったけれど「もうダメだ」と思った状況から抜け出すことができました。
特別なスキルや人脈がなくても、目の前の一歩を積み重ねていけば、少しずつでも道は開けます。
今、同じように苦しんでいる誰かにとって、「私だけじゃなかった」と思えるきっかけになれたら嬉しいです。
まふまる
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